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Photograph of Shiori   (take -27 : 2006.10.14)

 
 
 
 

2006年10月14日

 
史織のお絵描き。
大きな用紙は何でもとにかくビリビリ破って細かくしてしまう。
紙を破るという行為が気持ちいいのか、それとも小さくまとまった世界が好きなのか。
子供は皆そうなのかも知れないけど、心理分析してみれば意外な結果が出るかも。
 

 
ポカポカ陽射しが当たる玄関マットが我が家で一番気持ちいい場所(?)
そういえば確かに史織もポチも、この辺りでいつも遊んでいる。
じゃあこれから大切なお客様がお見えになったら玄関マットの上に
「ちょっと汚いけど、まあ、どーぞ」って座ってもらうほうがいいのだろか。
 
 
史織にしては大変珍しく静かにお絵描きしていたのに、
やっぱり乱入して来ました、 ポチが…。
 

【 ポチ 】
「史織、何やってんの?」
 
【 史織 】
 「お絵描き!」

【 ポチ 】
「見せて見せて」
 
【 史織 】
「…ったく、るっさいなー、
ほっといてよ! プンプン」

【 ポチ 】
「どれどれ、何を描いてるのかな…、
何だこれ? チンプンカンプンだ。」

【 ポチ 】
「こっちから見てみても…、
やっぱりチンプンカンプンだ。」

【 史織 】
「お母さーん、ポチがじゃまする〜」

【 ポチ 】
「ボク、じゃましてないもん。
見てただけだもん。」

【 史織 】
「ウソ、じゃました!」

【 史織 】
「もう、あっち行ってよ!
アタシは忙しいんだから。」

【 史織 】
「出来た〜!」

【 史織 】
「アタシって、天才。 うふっ」

 
※ 二人の会話はすべて想像です。
 

 
↓ 難解な史織の作品

 
 単純でシャープな線で切り取られた面の構成は具象から抽象へ移行し始めた頃のモンドリアンによる「樹木」連作を想起させるが、史織の曲線の伸びやかな消失点処理法にはカンディンスキーあるいは岡本太郎的な高度工業化社会下における近代的呪詛からの空間の解放の継承をも感じ取ることが出来る。
 また、手で細かくちぎった紙に描くという方法論上の奔放さという切り口で言えばダダイズム的な創造的破壊の現代的解釈の真にアバンギャルドな一つの試みとも言えよう。
 いずれにしても価値観のグローバル化または多様化の美名のもとに混乱・迷走を極める現代アートに対し、史織がその新たな着地点を指し示したものに他ならない。
  … って、んなバカな。 テヘっ

 
 
 
たまにはポチの写真もペタリ。

 
 
 
 

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